2010年 10月 01日
雨降り お月さん って?? |
いま、My HPのトップにUPしているのが童謡「雨降り お月さん」である。
雨降りのお月さんの歌って?ウン?…普段ナニも不思議に思わずに口ずさんでいる童謡であるが、ちょっと変ですね。
♪ 雨降り お月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで からかさ さしてゆく
からかさないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬に揺られて 濡れてゆく ♪
でも、素直によめば、この歌は、嫁にゆく娘を前にした父親の心情を詠んだ歌だといえば、言える。ウン!
「雨が降ってきて、お月さんも雲の蔭に隠れてしまったよ それでもおまえは お嫁にゆくのかい?」
「ええ、もちろんよ」「雨が降って来たというのに だれと行くんだい?」「一人で傘をさしていくわ」
「お父さんが、傘を隠したら どうするつもりなのだい?」「そのときは、鈴をつけたお馬さんに乗って濡れてでもゆくわ、濡れても また乾かせばいいじゃない?」
そうですか、でも?ね、雨降りにお月さん出てるわけないでしょうが。雨降ってりゃ~、お月さん雲の蔭に隠れてて当たり前でしょう。可愛い娘がお嫁に行くというのに、誰も付いていかずに、一人で傘さして出すっていうの?傘がないときは、馬に乗って濡れて行きゃ~いいだ、なんてこと、アリか?
と、いうので、この歌詞を巡っては諸説有るらしい。
この歌は、1925年(大正14年)、コドモノクニに発表された野口雨情作詞・中山晋平作曲により、当初、雨情は「雨降り お月」と題して発表したのだが、中山晋平が「お月」を「お月さん」に代えた方が良いと言って「雨降りお月さん」という題名に代えさせた、という。すると、全国的にヒットしたので、1月に出した曲に新たに3月に「雲の蔭」と題する曲を出した。後に出された本では、この別々の曲が一つの歌として出て、今日に至っているという。従って、一番と二番では、メロディ-も、節回しも微妙に違う。二番の歌詞も良くよむと、諸説それぞれ意味があっておもしろい。娘が嫁ぐ思いを詠んだと言う説、雨情の妻が嫁いで来た様子を詠んだと言う説、小さくして亡くなった娘を思い詠んだ、と言う説などあるが、雨情亡きいま真実は分からない。
これは、コドモノクニに載った岡本帰一の挿絵である。
二番の歌詞はこうだ。
♪ 急がにゃ馬よ 夜が明ける 手綱の下から チョイと見りゃ お袖でお顔を隠してる お袖は濡れても
乾かしゃかわく 雨降りお月さん 雲の蔭 お馬に揺られて ぬれてゆく ♪
ぼくが、なるほどと感心した説は、2歳で亡くなった娘恒子への思いを詠ったのだ、と言う説である。医学のすすんでいなかったあの時代、乳幼児が亡くなる事は珍しい事ではなかった。
事実、同じ雨情の詩「シャボン玉」は、生まれてすぐに亡くなった長女ミドリを思い詠んだ詩だ、という説は定着している。
この「雨降りお月さん」も、二歳で亡くなった次女恒子を偲んで書いた詩だという説は説得力があると、ぼくは思った。雨情は、人生を謳歌することなく死んでしまった恒子を思った。人は亡くなると、月に行くと言う。ナニも持たせてやるものがないが、せめて傘くらい持たせてやろう、馬よ!急いでくれないと、夜が明けて、陽が登る。そんな雨情の切ない心情がにじみ出ているというのである。だから、雨情は「雨降りお月さん」などと、言いたくなかった。「雨降りお月」にしたかったんだというのも、頷ける。
コドモノクニの挿絵(岡本帰一画)では、花嫁も、馬もうなだれているし、馬の脚も雲に隠れている。ウン。
雨の日に、決して見ることなどできない雲に隠れた「月」の姿を「心」で捉えて、イメージで詩を詠んだのか、と「雨降り?お月さん」の疑問も解け、ぼくはあらためて、雨情の感性に心打たれた。
雨降りのお月さんの歌って?ウン?…普段ナニも不思議に思わずに口ずさんでいる童謡であるが、ちょっと変ですね。
♪ 雨降り お月さん 雲の蔭 お嫁にゆくときゃ 誰とゆく ひとりで からかさ さしてゆく
からかさないときゃ 誰とゆく シャラシャラ シャンシャン 鈴つけた お馬に揺られて 濡れてゆく ♪
でも、素直によめば、この歌は、嫁にゆく娘を前にした父親の心情を詠んだ歌だといえば、言える。ウン!
「雨が降ってきて、お月さんも雲の蔭に隠れてしまったよ それでもおまえは お嫁にゆくのかい?」
「ええ、もちろんよ」「雨が降って来たというのに だれと行くんだい?」「一人で傘をさしていくわ」
「お父さんが、傘を隠したら どうするつもりなのだい?」「そのときは、鈴をつけたお馬さんに乗って濡れてでもゆくわ、濡れても また乾かせばいいじゃない?」
そうですか、でも?ね、雨降りにお月さん出てるわけないでしょうが。雨降ってりゃ~、お月さん雲の蔭に隠れてて当たり前でしょう。可愛い娘がお嫁に行くというのに、誰も付いていかずに、一人で傘さして出すっていうの?傘がないときは、馬に乗って濡れて行きゃ~いいだ、なんてこと、アリか?
と、いうので、この歌詞を巡っては諸説有るらしい。
この歌は、1925年(大正14年)、コドモノクニに発表された野口雨情作詞・中山晋平作曲により、当初、雨情は「雨降り お月」と題して発表したのだが、中山晋平が「お月」を「お月さん」に代えた方が良いと言って「雨降りお月さん」という題名に代えさせた、という。すると、全国的にヒットしたので、1月に出した曲に新たに3月に「雲の蔭」と題する曲を出した。後に出された本では、この別々の曲が一つの歌として出て、今日に至っているという。従って、一番と二番では、メロディ-も、節回しも微妙に違う。二番の歌詞も良くよむと、諸説それぞれ意味があっておもしろい。娘が嫁ぐ思いを詠んだと言う説、雨情の妻が嫁いで来た様子を詠んだと言う説、小さくして亡くなった娘を思い詠んだ、と言う説などあるが、雨情亡きいま真実は分からない。
これは、コドモノクニに載った岡本帰一の挿絵である。
二番の歌詞はこうだ。
♪ 急がにゃ馬よ 夜が明ける 手綱の下から チョイと見りゃ お袖でお顔を隠してる お袖は濡れても
乾かしゃかわく 雨降りお月さん 雲の蔭 お馬に揺られて ぬれてゆく ♪
ぼくが、なるほどと感心した説は、2歳で亡くなった娘恒子への思いを詠ったのだ、と言う説である。医学のすすんでいなかったあの時代、乳幼児が亡くなる事は珍しい事ではなかった。
事実、同じ雨情の詩「シャボン玉」は、生まれてすぐに亡くなった長女ミドリを思い詠んだ詩だ、という説は定着している。
この「雨降りお月さん」も、二歳で亡くなった次女恒子を偲んで書いた詩だという説は説得力があると、ぼくは思った。雨情は、人生を謳歌することなく死んでしまった恒子を思った。人は亡くなると、月に行くと言う。ナニも持たせてやるものがないが、せめて傘くらい持たせてやろう、馬よ!急いでくれないと、夜が明けて、陽が登る。そんな雨情の切ない心情がにじみ出ているというのである。だから、雨情は「雨降りお月さん」などと、言いたくなかった。「雨降りお月」にしたかったんだというのも、頷ける。
コドモノクニの挿絵(岡本帰一画)では、花嫁も、馬もうなだれているし、馬の脚も雲に隠れている。ウン。
雨の日に、決して見ることなどできない雲に隠れた「月」の姿を「心」で捉えて、イメージで詩を詠んだのか、と「雨降り?お月さん」の疑問も解け、ぼくはあらためて、雨情の感性に心打たれた。
by kentians
| 2010-10-01 17:22
| こころの詩