2008年 04月 08日
風の小径に 春がきた その2 |
崖の竹薮下に湧き水の小さなため池があり、好事家が鯉の養殖をやっている。
寒い間姿を見せなかった鯉も、水ぬるむ今頃になると元気に泳ぎ出す。水面には、落ちた藪椿の花が…。
私の風の小径を、澳(おき=田畑)に向かう。
近頃あまり見られなくなった藁帽子。こどものころ、良く遊んで崩しては叱られたっけな。 見晴らしを遮る道路は最近出来た久居市街地から一志方面へのバイパス道路。利用者も多い。此処から眺める布引山脈も、春霞もなく、風力発電の風車さえハッキリ見える。見慣れた風景である。
だけど、「ごまめの歯ぎしり」にも書いたが、不心得な通行者が、生活ゴミを平気で路肩に捨てるのは、ナントかならぬものだろうか。情けないと言うか腹立たしいと言うか、人の目に付かないときに、捨てていく。モラルの低下というのは、簡単だが、こんな事が後を絶たないという国を恥る気持ちになるね。
私の散歩道(風の小径)は、いくつかあるが、一番のコースは澳に通じるこの道だ。
彼方に、目的地の小戸木神社が見える。
道すがら小さな春を見つけ、ときめきながら、歩を運ぶ。春の野の花と言えば、スミレ。タンポポ、レンゲ草と口に出るが、最近はとんと見つからない。西洋タンポポでもみつかれば、ああ咲いている、てなもんだ。 名も知らぬ花も春を告げてくれている。
風の小径に 春がきた は次回へ続きます
寒い間姿を見せなかった鯉も、水ぬるむ今頃になると元気に泳ぎ出す。水面には、落ちた藪椿の花が…。
私の風の小径を、澳(おき=田畑)に向かう。
近頃あまり見られなくなった藁帽子。こどものころ、良く遊んで崩しては叱られたっけな。
だけど、「ごまめの歯ぎしり」にも書いたが、不心得な通行者が、生活ゴミを平気で路肩に捨てるのは、ナントかならぬものだろうか。情けないと言うか腹立たしいと言うか、人の目に付かないときに、捨てていく。モラルの低下というのは、簡単だが、こんな事が後を絶たないという国を恥る気持ちになるね。
私の散歩道(風の小径)は、いくつかあるが、一番のコースは澳に通じるこの道だ。
彼方に、目的地の小戸木神社が見える。
道すがら小さな春を見つけ、ときめきながら、歩を運ぶ。春の野の花と言えば、スミレ。タンポポ、レンゲ草と口に出るが、最近はとんと見つからない。西洋タンポポでもみつかれば、ああ咲いている、てなもんだ。 名も知らぬ花も春を告げてくれている。
風の小径に 春がきた は次回へ続きます
by kentians
| 2008-04-08 18:20