2008年 05月 24日
着彩日本画展をみる |
いま、津久居文化協会美術展が開かれているのだが、津のリージョンプラザで開かれている加藤佳子さん主宰の着彩日本画グループ「佳旺会」の画展が明日で終わるというので、24日に観せて頂いた。
明治時代に国策のもとで、岡倉天心らに依って、和洋折衷的な日本画の近代化が進められて以降、全く実用的な即物的写実主義をはじめ、様々な視点や立場から伝統の日本画の更新が試みられてはきた。いろんな試みがされることに、素人の私らが異議を唱えるつもりはない。
だが、近年洋画との区別も付かない日本画の横行に危機感を持った横山操が、自ら水墨画に転向し、真の日本画の自立を訴えたことを、私が、墨の魅力に憑かれているからと言って殊更に言うつもりはないが、誰が観ても、画材が違うというだけで洋画との区別の付かない今の多くの日本画を日本画と呼ぶ必要が有るのか?との巷の声にも頷かざるを得ない。
しかも、日本画とは着彩の日本画をいうのであって、水墨画は別物だと思っている愚か者が多い事、業界はもとより、画家でさえ、洋画、日本画、水墨画等という区分をして気にも掛けない現状を、日本語すら分からないのかと、その無神経さを嘆かわしく思う私である。
ここで詳しい画論に触れるつもりはないが、敢えて日本画と言うからには、日本画には、日本の風土、日本人の感性に根ざした特質があるはずである。それは形似や色彩を基調とする即物的な洋画と異なり、簡素で抽象化された作者の主観や内面の純粋性の表現にあって、極めて精神主義的な至高の気品にあるのだと言われて来たし、素人のへぼ絵描きの私でも、日本画はそうあるものと信じて疑わない一人である。
前置きが長くなったが、そんな思いで私はいつも、画展なども見せて頂いている。
この作品は、代表の加藤佳子さんの大作「秋草の丘」
まず、感じた事は、多くの人が素朴な期待を裏切られたりする近年の着彩画の傾向はあまり感じられなかった、ということ。いわゆる岩絵の具の厚塗りによるマチエールを競うと言った絵は余り見られず、所謂ペインティングでなくドローイングに心がけている様子に、気を良くしてゆっくり見せて貰った。
そして、70点を超える作品の中から、十数点、先に述べた私の日本画への拘りにも似た思いで見て、気に入った作品と、ちょっと気になった作品をUPさせて頂くことにした。どれが気に入った作品で、どれが気になった作品かは、少し述べた日本画観に基づいて見て頂くとして、個々の作品にコメントすることは遠慮させて貰います。下の作品は、Y.Nさんの「秋映え」
下左はK・Kさんの「花宴」 下右はY・Mさんの「嵐の前の静けさ」
下左はN・Kさんの「浅春」 下右はN・Kさんの「秋日」
下左はK・Kさんの「薪を集めて」 下右はM・Iさんの「凛」
下のは、K・Hさんの「早春賦」
表現の簡素化や陰影の省略と言った様式上のこともあるが、モチーフの新しさを求めるのではなく、 描き手の心の表現をこころみ、気品ある心の響きを見るものに与えてくれるか?そんな物差しで見ていると結構面白いものだ。
下左は、Y・Sさんの「狙う」 下右は、T・Aさんの「飛騨の大木」
下左は、Y・Sさんの「からすうりの花」 下右は、K・Nさんの「夏の日」
下左は、T・Hさんの「静寂」 同右は、K・Oさんの「天城隧道」
なんと言っても、それぞれ絵が好きで楽しんでで描いてる様子が伝わってくる、和やかな画展でした。
なお、会場での写真撮影については、代表の加藤さんの了解を得ていることを付記します。ただし、あくまでも、作品の著作権は各作家に有りますので、無断コピーなどはしないで下さい。
明治時代に国策のもとで、岡倉天心らに依って、和洋折衷的な日本画の近代化が進められて以降、全く実用的な即物的写実主義をはじめ、様々な視点や立場から伝統の日本画の更新が試みられてはきた。いろんな試みがされることに、素人の私らが異議を唱えるつもりはない。
だが、近年洋画との区別も付かない日本画の横行に危機感を持った横山操が、自ら水墨画に転向し、真の日本画の自立を訴えたことを、私が、墨の魅力に憑かれているからと言って殊更に言うつもりはないが、誰が観ても、画材が違うというだけで洋画との区別の付かない今の多くの日本画を日本画と呼ぶ必要が有るのか?との巷の声にも頷かざるを得ない。
しかも、日本画とは着彩の日本画をいうのであって、水墨画は別物だと思っている愚か者が多い事、業界はもとより、画家でさえ、洋画、日本画、水墨画等という区分をして気にも掛けない現状を、日本語すら分からないのかと、その無神経さを嘆かわしく思う私である。
ここで詳しい画論に触れるつもりはないが、敢えて日本画と言うからには、日本画には、日本の風土、日本人の感性に根ざした特質があるはずである。それは形似や色彩を基調とする即物的な洋画と異なり、簡素で抽象化された作者の主観や内面の純粋性の表現にあって、極めて精神主義的な至高の気品にあるのだと言われて来たし、素人のへぼ絵描きの私でも、日本画はそうあるものと信じて疑わない一人である。
前置きが長くなったが、そんな思いで私はいつも、画展なども見せて頂いている。
まず、感じた事は、多くの人が素朴な期待を裏切られたりする近年の着彩画の傾向はあまり感じられなかった、ということ。いわゆる岩絵の具の厚塗りによるマチエールを競うと言った絵は余り見られず、所謂ペインティングでなくドローイングに心がけている様子に、気を良くしてゆっくり見せて貰った。
そして、70点を超える作品の中から、十数点、先に述べた私の日本画への拘りにも似た思いで見て、気に入った作品と、ちょっと気になった作品をUPさせて頂くことにした。どれが気に入った作品で、どれが気になった作品かは、少し述べた日本画観に基づいて見て頂くとして、個々の作品にコメントすることは遠慮させて貰います。下の作品は、Y.Nさんの「秋映え」
下左はK・Kさんの「花宴」 下右はY・Mさんの「嵐の前の静けさ」
下左はN・Kさんの「浅春」 下右はN・Kさんの「秋日」
下左はK・Kさんの「薪を集めて」 下右はM・Iさんの「凛」
下のは、K・Hさんの「早春賦」
表現の簡素化や陰影の省略と言った様式上のこともあるが、モチーフの新しさを求めるのではなく、 描き手の心の表現をこころみ、気品ある心の響きを見るものに与えてくれるか?そんな物差しで見ていると結構面白いものだ。
下左は、Y・Sさんの「狙う」 下右は、T・Aさんの「飛騨の大木」
下左は、Y・Sさんの「からすうりの花」 下右は、K・Nさんの「夏の日」
下左は、T・Hさんの「静寂」 同右は、K・Oさんの「天城隧道」
なんと言っても、それぞれ絵が好きで楽しんでで描いてる様子が伝わってくる、和やかな画展でした。
なお、会場での写真撮影については、代表の加藤さんの了解を得ていることを付記します。ただし、あくまでも、作品の著作権は各作家に有りますので、無断コピーなどはしないで下さい。
by kentians
| 2008-05-24 23:08