こころに響く絵(愛の詩)を描く |
この作品は、円空刻の二つの仏像を親子に見立て「祈る PART Ⅱ」として描き、出展したF20号の墨で描いたものである。
身近な友人に知らせると、早速Web友達などからお祝いの言葉を戴いた。
友人は有り難い。

さきのバルセロナのオリンピックで、スケートの鈴木明子さんが、観て下さる方々の心に響く様な演技をしたいと、たびたび笑顔で語っていて感動した。私の絵描きとしての思いも全く同感である。
友人の茶人によれば、茶事の楽しみは、亭主7分、客3分だという。茶事を行うには部屋から庭のつくばいに至るまで、きれいにしなければいけない。懐石からお菓子、茶花の用意、掛け物やお道具類の吟味などと、準備は結構大変なことだという。それでも、茶人も各人各様だろうが、いかに大変でも、私は、一期一会の思いで、心込めておもてなしをすることがとても愉しい、のだという。亭主7分の愉しみとは、この事をいっているのだ。
お茶の世界には疎いぼくだが、わびさびの世界という点では、ぼくらの墨の絵の世界も一緒だと思うし、観る人の心に響く絵を描きたいと願う思いは、この茶人の心にも通じると思った。また、さきの鈴木選手のことばにも通じるものである。
ぼくは、自分の生き様をはじめ、このような絵への思いの根っこにあるのは、結局人々への暖かい「愛」ではないか、と思っているし、さきの二方の場合も多分そうではないかと思う。
ぼくは、これまでの人生で、いろんな試練を経て「愛」の尊さを学んだ。「愛」というと、ときに誤解を受けるが、狭く限られた情愛のみではない、広く、深い人への想いのことを言っている。
ぼくは賞取りの為の絵は描かないと言った。でも、今回のように、(ぼくもその一人だが)難病に苦しみ、誤解や差別に悩む人たちが、私の絵に癒され、元気を得たと言われ、毎年私の絵に合うのを愉しみに心待ちしておられる方がいると、伺うと、とても嬉しい。拙いぼくの絵でも、心の詩として伝わっているのだ。また、こうして難病のかたでも、アートによる治療面でのメンタルの効果は大きいとして、医師たちからも、自分の絵が評価されたことは素直に嬉しいと想い、率直に喜んで居る。
私は頑なで、不器用な生き方しか出来ないし、老い先短い身ではあるが、これからも自分を信じ、自分に正直に生きて、納得のいく絵に向かって行きたいと思っている。それが、「生きる」と言うことだと思って居る。