2010年 07月 24日
古代蓮によせて |
♪ ひ~らいた ひ~らいた なんの花がひ~らいた ♪…わらべ唄「ひらいた ひらいた」を口ずさみながら、今年も古代蓮(大賀蓮)の花を見に津市戸木町の蓮蔵寺へでかけた。
ここの蓮は、大賀蓮といって、弥生時代後期のものといわれる古代蓮の実1個を発芽させ、淡いピンク色の開花に成功した大賀博士の名がつけられた古代蓮である。
3年前に、ここの蓮華を見ていて、このわらべ唄はひょっとして、日頃からゆかしく思っている良寛さんが作り、子供達と唄いながら遊んだのでは?と、住職に疑問を投げたところ、まったく良寛さんにぴったりだ、納得です、と言われたことがある。 これも3年前のこと、他愛ない話であるが、蓮池の傍らで開花を待っていて、昔見た「姿三四郎」という映画のワンシーン、三四郎が飛び込んだ蓮池のなかで、蓮華がポンと開花するのを見て、師から受けた叱責の真意を悟るところを思いだし、住職に「開花のときにポン!って音がしますか?」と尋ねたら、ポンなんて音はしませんが、かすかな衣擦れの様な音はしますわな、と言われ納得した記憶がある。その日、同様の質問をしているひとに、無我の境地になって耳を澄ませば、音は心に伝わってきますわ、と言っておられるのを聞いて、さすが和尚や、と感心したのを思い出した。
莟は一日目早朝にふくらみ始め、昼頃には窄む。二日目も開花し始めて窄み、三日目にやっと全開し、昼過ぎには落花して、四日目には花托だけになる儚い生命ではある。
やがて果托(実)となるサイクルが、ある日ストップし、2千余年ののち、一つぶの実が長い眠りから覚めて開花した、と聞けば「 輪廻転生」とはいえ、これはロマンに充ちた話ではないか。
蓮というと、インド原産であり、蓮華はお釈迦様とは馴染みの花。如来像の台座は蓮華をかたどっている。仏教との関わりは深い。
「泥より出でて泥に染まらず」などと言って、清らかさと、御仏の慈悲の象徴とされたり、余り好い譬えとしては使われないが、本来は、だれもが浄土に往生して、同じ蓮華の上に生まれ変わって身を託す、と言う意味で「一蓮託生」などという思想もある。
一方、「蓮っ葉女」などという、一般に馴れ馴れしくって軽はずみな女性を軽蔑して言う言葉もあるが、古代インドのヒンズー教では最高に素晴らしい女性を「蓮女」として格付けし、崇拝したといい、仏教でも吉祥天と言われるのが蓮女だというから、良く分からない。
蓮華は荷花とも言い、蓮の古名をはちすという。はちすは花托が蜂の巣に似ているから呼ばれたのが転用され「はす」となったらしい。 莟や、花や、花托と色とりどりのにぎやかな蓮池を、畔の石仏さまが並んで眺めてござった。 合 掌
ここの蓮は、大賀蓮といって、弥生時代後期のものといわれる古代蓮の実1個を発芽させ、淡いピンク色の開花に成功した大賀博士の名がつけられた古代蓮である。
3年前に、ここの蓮華を見ていて、このわらべ唄はひょっとして、日頃からゆかしく思っている良寛さんが作り、子供達と唄いながら遊んだのでは?と、住職に疑問を投げたところ、まったく良寛さんにぴったりだ、納得です、と言われたことがある。
莟は一日目早朝にふくらみ始め、昼頃には窄む。二日目も開花し始めて窄み、三日目にやっと全開し、昼過ぎには落花して、四日目には花托だけになる儚い生命ではある。
やがて果托(実)となるサイクルが、ある日ストップし、2千余年ののち、一つぶの実が長い眠りから覚めて開花した、と聞けば「 輪廻転生」とはいえ、これはロマンに充ちた話ではないか。
蓮というと、インド原産であり、蓮華はお釈迦様とは馴染みの花。如来像の台座は蓮華をかたどっている。仏教との関わりは深い。
「泥より出でて泥に染まらず」などと言って、清らかさと、御仏の慈悲の象徴とされたり、余り好い譬えとしては使われないが、本来は、だれもが浄土に往生して、同じ蓮華の上に生まれ変わって身を託す、と言う意味で「一蓮託生」などという思想もある。
一方、「蓮っ葉女」などという、一般に馴れ馴れしくって軽はずみな女性を軽蔑して言う言葉もあるが、古代インドのヒンズー教では最高に素晴らしい女性を「蓮女」として格付けし、崇拝したといい、仏教でも吉祥天と言われるのが蓮女だというから、良く分からない。
蓮華は荷花とも言い、蓮の古名をはちすという。はちすは花托が蜂の巣に似ているから呼ばれたのが転用され「はす」となったらしい。
by kentians
| 2010-07-24 22:17
| こころの詩