2014年 06月 26日
アートあれこれ(第2回) |
ちょっと間があいてしまったが、今回から、前回の「創作とはなにか?」をふまえ、日頃素朴に疑問に思っていることを、素人ながらも志は大きくと言う立場で、思いつくままに綴ることにします。
私の望む自分の有り様は、貶されるだろうが「文人」である。
かつて文人と呼ばれた人たちは詩書画に親しんだ。彼らが好んで描いた絵は南画と言われる絵画様式であるが、今日美術に携わる人でも「南画」を知らない人がかなりいることに驚く。
南画と言う以上北画もあるわけで、もともとはどちらも、中国における画風が日本に伝えられたものである。詳しいことは省くが、明時代に宮廷絵画の描いていた職業画家の絵を北宗画、文人たちの絵を南宗画と称した。
北宗画は、鋭い描線による厳しい絵画表現、一方南宗画は柔らかい描線による主観的な表現が特徴で、前者は室町時代に「雪舟」が中国で学び、日本にその画風をベースにした絵画を確立する。
後者は、江戸時代中期に日本に入り、多くの文人たちによって、日本の風土に根ざした自由な独自の絵画として脚光を浴びる。
当時すでに北画をベースにした狩野派や円山派などが幕府御用画家集団として一世を風靡していたが、南画はこれと拮抗する画派として揺るぎない存在であったようである。
中国の北画がそうであるように、狩野派や円山派の絵画は、御用絵師による絵であり、その特徴は墨を基調としながらも、色彩豊かに華麗な装飾的な絵画である。
一方、南画はお抱え絵師ではないゆえに、自由奔放、それぞれが思うままに描く、主観的で表現主義的な絵画であったといえる。
型に嵌らない自由さが、無限の可能性を秘めていたと言える。
絵を売っていたものいたとはいえ、今日の職業画家と言うのでもなかった。目指すのは、中国の文人画であり、自らの純粋な精神の発露であったようである。
私が、いま、絵を描きながらも絵を生業とせず、文人志向で絵以外の趣味を広く楽しもうとするのは、彼ら文人墨客への憧れでもあるし、南画の持つ自由で、純粋な精神性に惹かれるからである。。
私は、時代が変わろうが「南画」を良しとし、「南画」の精神こそ、日本絵画の基礎と私は信じて止まない。
そしてまた自らが楽しみつつ描く、あくまでもアマチュアでいたいと思うのも、そこにある。
こんな、創作の有り様の見本のような「南画」が、なぜ、今日殆ど忘れられてしまっているのだろうか。
ひとつには、水墨を主体とした絵画であり、鮮やかな色彩による絵画に比べ見栄えがしないこと、明治以降、一部の指導者により国策的に「美術にあらずとして排除され、今日まで来ていることにあると、と 見られている。
こうしたことは、関係者の議論によって啓発され、理解が深められることなのだが、あまりなかったことも大きな要因と言えよう。
日本画が低迷が久しく、洋画と日本画との違いすら、明確にはされない今日こそ、絵画とは、なにかに始まり、日本画とは、なにかの議論がなされても良いのではないか。いや、為されるべきだと思う。
私の望む自分の有り様は、貶されるだろうが「文人」である。
かつて文人と呼ばれた人たちは詩書画に親しんだ。彼らが好んで描いた絵は南画と言われる絵画様式であるが、今日美術に携わる人でも「南画」を知らない人がかなりいることに驚く。
南画と言う以上北画もあるわけで、もともとはどちらも、中国における画風が日本に伝えられたものである。詳しいことは省くが、明時代に宮廷絵画の描いていた職業画家の絵を北宗画、文人たちの絵を南宗画と称した。
北宗画は、鋭い描線による厳しい絵画表現、一方南宗画は柔らかい描線による主観的な表現が特徴で、前者は室町時代に「雪舟」が中国で学び、日本にその画風をベースにした絵画を確立する。
後者は、江戸時代中期に日本に入り、多くの文人たちによって、日本の風土に根ざした自由な独自の絵画として脚光を浴びる。
当時すでに北画をベースにした狩野派や円山派などが幕府御用画家集団として一世を風靡していたが、南画はこれと拮抗する画派として揺るぎない存在であったようである。
中国の北画がそうであるように、狩野派や円山派の絵画は、御用絵師による絵であり、その特徴は墨を基調としながらも、色彩豊かに華麗な装飾的な絵画である。
一方、南画はお抱え絵師ではないゆえに、自由奔放、それぞれが思うままに描く、主観的で表現主義的な絵画であったといえる。
型に嵌らない自由さが、無限の可能性を秘めていたと言える。
絵を売っていたものいたとはいえ、今日の職業画家と言うのでもなかった。目指すのは、中国の文人画であり、自らの純粋な精神の発露であったようである。
私が、いま、絵を描きながらも絵を生業とせず、文人志向で絵以外の趣味を広く楽しもうとするのは、彼ら文人墨客への憧れでもあるし、南画の持つ自由で、純粋な精神性に惹かれるからである。。
私は、時代が変わろうが「南画」を良しとし、「南画」の精神こそ、日本絵画の基礎と私は信じて止まない。
そしてまた自らが楽しみつつ描く、あくまでもアマチュアでいたいと思うのも、そこにある。
こんな、創作の有り様の見本のような「南画」が、なぜ、今日殆ど忘れられてしまっているのだろうか。
ひとつには、水墨を主体とした絵画であり、鮮やかな色彩による絵画に比べ見栄えがしないこと、明治以降、一部の指導者により国策的に「美術にあらずとして排除され、今日まで来ていることにあると、と 見られている。
こうしたことは、関係者の議論によって啓発され、理解が深められることなのだが、あまりなかったことも大きな要因と言えよう。
日本画が低迷が久しく、洋画と日本画との違いすら、明確にはされない今日こそ、絵画とは、なにかに始まり、日本画とは、なにかの議論がなされても良いのではないか。いや、為されるべきだと思う。
by kentians
| 2014-06-26 21:47
| アートのはなし