2007年 08月 13日
時空を超えて~ 付知峡に遊ぶ その3 |
( 第二日目 の夜 )
滝巡りのあとは、また付知の温泉「おんぽいの湯」にたっぷり浸かって、疲れを癒やしコテージに戻る。いい湯だった。
ちなみに、「おんぽい」とは、大正時代まで、付知川から木曽川をへて八百津まで、伐採した木をながした時の仕事歌のかけ声が「おんぽいや~」だったことからつけたのそうだ。
今夜は、孫に昼間マス釣りを体験させ、獲物を食べる段取りだったそうだが、水温が高くて餌の喰いが悪いとかで、釣らせてもらえなかったため、またも、バーベキューとあいなった。ナンデモ食べさせて貰えれば結構!が私のくちぐせ。ほんと。清涼な空気の元で、瀬音をききながら、お酒とともに食事を頂くなんて、極楽なんて行った事はないけど、有り難いと思えば、極楽だというものだ。
おれも喰いたいな~、と、マリーン(お前さんは、もう食べたでしょ!
そして、花火。
このキャンプ場では、日中アブに悩まされたが、まず蚊はいない。
夜ともなると、いろんな蛾がやってくる。熊谷守一ではないが、ガラス窓に集う蛾を見ているだけで見飽きない程である。
そんななかに、珍客の来訪があり、孫を喜ばせた。二晩続けて「みやまくわがた」の雄がやってきたのだ。時期的にやや遅く、2匹は珍しいようだ。
おとなりさんも、クワガタ期待して道具持参で来て、すいかを割って置いて待ったが、何かのけものに獲られたらしく、朝には後かたもなかったと口惜しがって見えた事を思うと、随分と幸運だったのだろう。管理人にもよかったなと言われ、孫は、ご満悦であった。 こうして、二日目、そしてさいごの夜。星座早見表を手に、孫と倅は山合いの狭い夜空を眺めに出たが、昨夜同様ややガスがかかっているのか、手づかみ出来るほどの輝く星は見られず、残念であった。
それにしても、瀬音以外なにも聞こえず、静かな夜。
世情には全く縁のない、と言うより敢えて触れない、時空を超えた、非日常の世界、一週間もいればどうかと言う気がしないでもないが、煩わしさを離れ、頭を空っぽにするには本当に良い機会であったと、一人ごちしつつ、眠りについたのだった。
滝巡りのあとは、また付知の温泉「おんぽいの湯」にたっぷり浸かって、疲れを癒やしコテージに戻る。いい湯だった。
ちなみに、「おんぽい」とは、大正時代まで、付知川から木曽川をへて八百津まで、伐採した木をながした時の仕事歌のかけ声が「おんぽいや~」だったことからつけたのそうだ。
今夜は、孫に昼間マス釣りを体験させ、獲物を食べる段取りだったそうだが、水温が高くて餌の喰いが悪いとかで、釣らせてもらえなかったため、またも、バーベキューとあいなった。ナンデモ食べさせて貰えれば結構!が私のくちぐせ。ほんと。清涼な空気の元で、瀬音をききながら、お酒とともに食事を頂くなんて、極楽なんて行った事はないけど、有り難いと思えば、極楽だというものだ。
おれも喰いたいな~、と、マリーン(お前さんは、もう食べたでしょ!
そして、花火。
このキャンプ場では、日中アブに悩まされたが、まず蚊はいない。
夜ともなると、いろんな蛾がやってくる。熊谷守一ではないが、ガラス窓に集う蛾を見ているだけで見飽きない程である。
そんななかに、珍客の来訪があり、孫を喜ばせた。二晩続けて「みやまくわがた」の雄がやってきたのだ。時期的にやや遅く、2匹は珍しいようだ。
おとなりさんも、クワガタ期待して道具持参で来て、すいかを割って置いて待ったが、何かのけものに獲られたらしく、朝には後かたもなかったと口惜しがって見えた事を思うと、随分と幸運だったのだろう。管理人にもよかったなと言われ、孫は、ご満悦であった。
それにしても、瀬音以外なにも聞こえず、静かな夜。
世情には全く縁のない、と言うより敢えて触れない、時空を超えた、非日常の世界、一週間もいればどうかと言う気がしないでもないが、煩わしさを離れ、頭を空っぽにするには本当に良い機会であったと、一人ごちしつつ、眠りについたのだった。
by kentians
| 2007-08-13 22:28
| 自然