2008年 02月 27日
元気で生きること |
「元気かい?」と問われると、私は必ず「元気だよ」と応えることにしている。
「元気」とは、一般的には、健康で勢いの好いことをさす。それはそうだろう。それでよろしい。
しかし、私の場合には、その「元気」はない。「病いの総合結社」のようなものだからだ。
広辞苑によれば、元気とは、天地間に広がり、万物生成の根本となる精気、とある。こんな、こむづかしい、すごいものなどは、持ちあわせて居るはずもない。
ただ「活動のみなもととなる気力」ならば、人に劣らず持っている、という意味で、私は「元気」と、いうことを言っている。
私を知る人、ようするに私が一般的な「元気」ではない=病気持ちだという事を知る人は、後者の「元気」について、素直に認めてくれており、意外なほどの志風のパワーには感心する、と言ってくれる。
だけど、感心して貰うほどのことはない。
私は健康でない。だから、「死」ということを冷静に考える。
しかも、改めていうまでもなく、生あるものはいつかは死ぬ。ならば、いかに生きるかを考えざるを得ないのだ。いかに生きるか?はいかに美しく時を過ごすか?である。ならばすこしでも充実した時を過ごしたい、心に悔いのない生き方をする、これが私の生きる気力であり、「元気」でもあるのだ。私のパワーとはそんなものなのだ。
このことは、私の画文集のあとがきにも書いた。また、あの画文集(美研インターナショナル社発行)の構成そのものが、私の生き様なり、生きる思いを絵に託すそんな思いでできている。生きる意味を、読者に考えてもらう、そんな思いで構成してある。機会が有れば読んで欲しい。
私の人生には、これまで4度、「死に神」の手がのびているが、そのつど、振り払って生きて来た美しく「生きる」ことへの執念のようなものがある。
いままた、新たな病い「癌」と直面することになったが、真っ向から向き合って行かねばならぬ以上、やはり私のこの「元気」は、最後まで失ってはならぬと思っている。
誰もが、健康で有るに越した事はない。しかし、誰もが何時も健康でいられるとは限らない。健康ではなくても、「元気」で生きる事は出来ると、私は思っている。
by kentians
| 2008-02-27 23:14
| こころの詩