2008年 08月 23日
今年も裏木曽で過ごした4日間 |
去年に続いて2度目の裏木曽ゆきだが、旅日記というものではなく、ひととき娑婆を離れて、頭を空っぽにしたいという、癒やしと安らぎを求めての、僅かな山中での4日間のひぐらし話である。
去年の感動が忘れられなくて、年々身体は不自由になり、迷惑を掛けたくないと思いつつ、どうや?と倅に誘われれば、いってみたいね、ということになり、今年も3度目という次男の計画に参画した。
目指すは、岐阜県の付知峡、中央道中津川ICから国道257号を、付知町(現中津川市)まで約27キロ。更に山中のキヤンプ場まで約7キロを走る。勿論運転は倅。
昼前に、家をでて、途中で軽く昼食をとり、中津川や付知で晩飯の食材を仕込む。
食材も比較的に高かったが、ガソリン・リッター181円にはまいったね。
去年は気づかなかったが、中津川は、サルスベリの街である。下呂方面への257号線沿いは赤、ピンク、白の花街道である。
此処は付知花街道道の駅
山中のコテージはバスつきだが、街に好い温泉施設があるので、ここに入る。天然掛け流しの湯、倉屋温泉「おんぽいの湯」という。”おんぽい”とは、昔大井川にダムが出来るまでは、山から切り出した木を付知川、木曽川を流して、八百津を経て熱田や、桑名へ送っていたのだが、台風の無い時期を避け、真冬の凍える季節の作業は厳しく、作業者達は、♪おんぽいえ~、♪おんぽいえ~と、かけ声を掛けながら作業をしたことによるという。
今年の宿は、一番高い場所にあるコテージなので、去年程には川の瀬音も喧しくはない。
夜は、肌寒い程の気温、空気は清涼、居心地満点!楽しいベランダでの夕食。バーベキューに舌鼓をうち、会話もはずむ。次男と二人、つい酒もすすみ、11時過ぎまで痛飲する。
二日目。付知川に降りたり、杉・檜林の中を散策する。「熊注意!」や「まむし、ハチ注意」の立て札がやたら眼につく。鬱蒼としたところに入るのは止す。
花の名に弱い私は、ナにと呼べないのが残念だが山野草は豊富である。手折って、山頭火よろしく、さっと投げ入れて鑑賞するに相応しい花入れはない。やはり、自然のままが一番よろしい。
まだ、山紫陽花は沢山咲いている。センブリの花も見つけた。
昼前に長男の家族(嫁さんは仕事の都合で欠場)が合流したので、全員八人で近くの「岩魚の里」へ出かける。
この辺りは吊り橋が多い。
岩魚と山菜料理を食べさせるという「岩魚の里」へも吊り橋を渡って行く。一度に三人までというスリル満点の吊り橋を渡り店に入る。テレビにも紹介されたこともあるとか…。
激しく落ちる滝の下に、岩魚の生け簀があり、大小の岩魚の姿が見えるが、警戒心の強い岩魚は、なかなか近くには来ない。
渓流にせり出した食席からは滝が望め、河原で冷たい水にはしゃぎながら遊ぶ子供の姿も見える。
めいめいが、欲しいものを注文するが、メインは「岩魚の刺身定食」他に「岩魚蕎麦」など、いずれも美味いと、皆大喜びであった。これが、「岩魚刺身定食」。岩魚のてんぷらから甘露煮、蕎麦まで付いている。蕎麦も旨い。
これが「岩魚蕎麦」岩魚の甘露煮と天ぷら、岩魚の卵まで載った蕎麦だ。
昼食後コテージへ戻った子供達は、めいめい適当に勉強をし、私達はイヌ(次男の愛犬ラブラドール・リトリバーの「マリーンちゃん]の散歩がてら山中の散策に出る。
翠したたる木々、さわやか空気、聞こえるのは瀬音と、蝉の声。つくつくほうしとミイミイ蝉、時たま鳥さえずりも聞こえる。この清涼感は、山深い林中だからこそ味わえるのだと思うと、存分に浸っていきたいと思う。
ただ、ミイミイ蝉の声だけは幼年時代の軍国教育を想起して、どうも、親しめない。
太平洋戦争時、軍隊経験のあるひとなら知っているであろう新兵虐めに、兵舎の窓枠の柱に抱きつかせて♪ミイ~ン、ミイ~ん♪と蝉の鳴き声を真似させる悪習があった。それをそっくり当事の教育現場に持ち込んだ教師がいて、小学低学年の子供にやらせていたことが、すごく不愉快で、そんな教師を軽蔑した事を思い出すのである。♪ミイ~ン♪ミイ~ンは70を超えてなお、心のキズになって残っているのだ。
怪訝な顔をしているが、あの忌まわしい戦争が風化しつつあり、戦争を知らない子供達にはそんな話もしておかねばならぬ。
夕方、街へ降りて「おんぽいの湯」へでかけ、また買い物をし、コインランドリで洗濯をして帰る。
今宵は、ひと組加わって更に賑やかな、バーベキュー・パーティーとなった。花火を楽しみ、夜更けまでトランプに興じ、久しぶりの親子、兄弟、従兄弟同士の歓談が続いた。
三日目は、安曇野へ出かけるという。山中だからか、時折激しい雨が降る。今日は雨だぞ!いや、大した事は無かろうということで遅がけに決行と決まる。
片道160キロ余の行程である。高速道も些か心配だし、第一この狭くて険しい山道の登り下りが大丈夫かと気に懸かる。やがて、雲も切れてきたので、行こうという。不承不承付いて行く事にする。
行きは、まあよいよい、安曇野のちひろ公園にある「ちひろ美術館」に着く頃には再び雨。でも館内は鑑賞客で一杯。変わらぬ人気ぶりである。下は、雨の為写真がとれなかったので、パンフレットを借用したものである。
いわさきちひろの絵は老若男女を問わず、あの優しさに溢れた独特の画風で親しまれている。それは、あの気取らない人間愛に充ちたちひろのメッセージが、多くの人のこころに夢と希望、安らぎを与えてくれるからだ、とは思う。
私はさらに、彼女の作品の気品のある色彩や、余白の美しさ、水墨画の技法であるにじみやたらし込みなどを活かした独特の水彩画の画風に引かれる。
また、此処では、彼女の作品や絵本を紹介するだけでなく、ちひろの生い立ちや暮らしや生き様から、世界の子供達の平和を願う強靱な心を持った女性であった事を知って貰おうとしていること、彼女があの可愛い絵を通して、強い平和へのメッセージを伝えようとしていることを強く感じる。まだ、お訪ねで無い方にはぜひ一度、足を運んでほしい美縦館である。
館内は、ちひろ関係だけでなく、世界の絵本が紹介されている。それはちひろが「絵本」が、子供に対してどれほど大切かを訴えたかったかという、生前の思いも活かそうというこころみの様である。いわさきちひろは、こよなく平和を愛し、「絵」をとおして、平和のメッセージを送り続けた強靱な芯のある女性だったのだ。
ギャラリーには絵本作家の彫刻があったり、遊具類もある。
雨が酷くて、安曇野を散策するどころでなくなった。「馬刺し」や蕎麦などで遅い昼食をとり、引き返す事になったが、帰路の中央道の雨のすごいこと。載せて貰っているだけだが、もう二度とごめんだ、と言いたいほどの滝の様な雨と前車のしぶきであった。
無事に、帰着して三日目の夜も遅くまで遊ぶ子供達を置いて、早々と眠りにつく。屋根を打つ雨音がはげしい。明日は大丈夫かな?聞こえにくいラジオに耳を押し当て、予報を聞く。名古屋は雨らしい様子はない。35℃だって。相変わらずの真夏日だとよう。
天国と地獄や、と倅が言う。
最後の日。雨上がりの朝の清涼感を満喫しておきたくて、朝食まえに散策に出る。翠滴る山々のあいだから煙霧が立ち上り、流れる。水墨画の世界だ。
前夜の、あの大雨にもかかわらず、沢の濁りはない。透き通るようなエメラルド色の淵、瀬には岩魚であろうか、ときに魚影が見られる。
冷たい沢水に浸かって走りまわり、美味いのかしっかり沢水を飲んで、マリーンも満足げである。もう、この別天地ともお別れだよと、彼女とツーショット。
みんなで記念写真を撮ったあと、11時ごろ、コテージにおさらばし、喧噪と酷暑の娑婆に向かう。
明日からは、また、この俗世を離れた非日常の世界、別天地で得た癒やしと安らぎに感謝し、心して「自分の今」を生きよう、と自分に言い聞かせながら、林道を下る。
去年の感動が忘れられなくて、年々身体は不自由になり、迷惑を掛けたくないと思いつつ、どうや?と倅に誘われれば、いってみたいね、ということになり、今年も3度目という次男の計画に参画した。
目指すは、岐阜県の付知峡、中央道中津川ICから国道257号を、付知町(現中津川市)まで約27キロ。更に山中のキヤンプ場まで約7キロを走る。勿論運転は倅。
昼前に、家をでて、途中で軽く昼食をとり、中津川や付知で晩飯の食材を仕込む。
食材も比較的に高かったが、ガソリン・リッター181円にはまいったね。
去年は気づかなかったが、中津川は、サルスベリの街である。下呂方面への257号線沿いは赤、ピンク、白の花街道である。
此処は付知花街道道の駅
山中のコテージはバスつきだが、街に好い温泉施設があるので、ここに入る。天然掛け流しの湯、倉屋温泉「おんぽいの湯」という。”おんぽい”とは、昔大井川にダムが出来るまでは、山から切り出した木を付知川、木曽川を流して、八百津を経て熱田や、桑名へ送っていたのだが、台風の無い時期を避け、真冬の凍える季節の作業は厳しく、作業者達は、♪おんぽいえ~、♪おんぽいえ~と、かけ声を掛けながら作業をしたことによるという。
今年の宿は、一番高い場所にあるコテージなので、去年程には川の瀬音も喧しくはない。
夜は、肌寒い程の気温、空気は清涼、居心地満点!楽しいベランダでの夕食。バーベキューに舌鼓をうち、会話もはずむ。次男と二人、つい酒もすすみ、11時過ぎまで痛飲する。
二日目。付知川に降りたり、杉・檜林の中を散策する。「熊注意!」や「まむし、ハチ注意」の立て札がやたら眼につく。鬱蒼としたところに入るのは止す。
花の名に弱い私は、ナにと呼べないのが残念だが山野草は豊富である。手折って、山頭火よろしく、さっと投げ入れて鑑賞するに相応しい花入れはない。やはり、自然のままが一番よろしい。
まだ、山紫陽花は沢山咲いている。センブリの花も見つけた。
昼前に長男の家族(嫁さんは仕事の都合で欠場)が合流したので、全員八人で近くの「岩魚の里」へ出かける。
この辺りは吊り橋が多い。
岩魚と山菜料理を食べさせるという「岩魚の里」へも吊り橋を渡って行く。一度に三人までというスリル満点の吊り橋を渡り店に入る。テレビにも紹介されたこともあるとか…。
激しく落ちる滝の下に、岩魚の生け簀があり、大小の岩魚の姿が見えるが、警戒心の強い岩魚は、なかなか近くには来ない。
渓流にせり出した食席からは滝が望め、河原で冷たい水にはしゃぎながら遊ぶ子供の姿も見える。
めいめいが、欲しいものを注文するが、メインは「岩魚の刺身定食」他に「岩魚蕎麦」など、いずれも美味いと、皆大喜びであった。これが、「岩魚刺身定食」。岩魚のてんぷらから甘露煮、蕎麦まで付いている。蕎麦も旨い。
これが「岩魚蕎麦」岩魚の甘露煮と天ぷら、岩魚の卵まで載った蕎麦だ。
昼食後コテージへ戻った子供達は、めいめい適当に勉強をし、私達はイヌ(次男の愛犬ラブラドール・リトリバーの「マリーンちゃん]の散歩がてら山中の散策に出る。
翠したたる木々、さわやか空気、聞こえるのは瀬音と、蝉の声。つくつくほうしとミイミイ蝉、時たま鳥さえずりも聞こえる。この清涼感は、山深い林中だからこそ味わえるのだと思うと、存分に浸っていきたいと思う。
ただ、ミイミイ蝉の声だけは幼年時代の軍国教育を想起して、どうも、親しめない。
太平洋戦争時、軍隊経験のあるひとなら知っているであろう新兵虐めに、兵舎の窓枠の柱に抱きつかせて♪ミイ~ン、ミイ~ん♪と蝉の鳴き声を真似させる悪習があった。それをそっくり当事の教育現場に持ち込んだ教師がいて、小学低学年の子供にやらせていたことが、すごく不愉快で、そんな教師を軽蔑した事を思い出すのである。♪ミイ~ン♪ミイ~ンは70を超えてなお、心のキズになって残っているのだ。
怪訝な顔をしているが、あの忌まわしい戦争が風化しつつあり、戦争を知らない子供達にはそんな話もしておかねばならぬ。
夕方、街へ降りて「おんぽいの湯」へでかけ、また買い物をし、コインランドリで洗濯をして帰る。
今宵は、ひと組加わって更に賑やかな、バーベキュー・パーティーとなった。花火を楽しみ、夜更けまでトランプに興じ、久しぶりの親子、兄弟、従兄弟同士の歓談が続いた。
三日目は、安曇野へ出かけるという。山中だからか、時折激しい雨が降る。今日は雨だぞ!いや、大した事は無かろうということで遅がけに決行と決まる。
片道160キロ余の行程である。高速道も些か心配だし、第一この狭くて険しい山道の登り下りが大丈夫かと気に懸かる。やがて、雲も切れてきたので、行こうという。不承不承付いて行く事にする。
行きは、まあよいよい、安曇野のちひろ公園にある「ちひろ美術館」に着く頃には再び雨。でも館内は鑑賞客で一杯。変わらぬ人気ぶりである。下は、雨の為写真がとれなかったので、パンフレットを借用したものである。
いわさきちひろの絵は老若男女を問わず、あの優しさに溢れた独特の画風で親しまれている。それは、あの気取らない人間愛に充ちたちひろのメッセージが、多くの人のこころに夢と希望、安らぎを与えてくれるからだ、とは思う。
私はさらに、彼女の作品の気品のある色彩や、余白の美しさ、水墨画の技法であるにじみやたらし込みなどを活かした独特の水彩画の画風に引かれる。
また、此処では、彼女の作品や絵本を紹介するだけでなく、ちひろの生い立ちや暮らしや生き様から、世界の子供達の平和を願う強靱な心を持った女性であった事を知って貰おうとしていること、彼女があの可愛い絵を通して、強い平和へのメッセージを伝えようとしていることを強く感じる。まだ、お訪ねで無い方にはぜひ一度、足を運んでほしい美縦館である。
館内は、ちひろ関係だけでなく、世界の絵本が紹介されている。それはちひろが「絵本」が、子供に対してどれほど大切かを訴えたかったかという、生前の思いも活かそうというこころみの様である。いわさきちひろは、こよなく平和を愛し、「絵」をとおして、平和のメッセージを送り続けた強靱な芯のある女性だったのだ。
ギャラリーには絵本作家の彫刻があったり、遊具類もある。
雨が酷くて、安曇野を散策するどころでなくなった。「馬刺し」や蕎麦などで遅い昼食をとり、引き返す事になったが、帰路の中央道の雨のすごいこと。載せて貰っているだけだが、もう二度とごめんだ、と言いたいほどの滝の様な雨と前車のしぶきであった。
無事に、帰着して三日目の夜も遅くまで遊ぶ子供達を置いて、早々と眠りにつく。屋根を打つ雨音がはげしい。明日は大丈夫かな?聞こえにくいラジオに耳を押し当て、予報を聞く。名古屋は雨らしい様子はない。35℃だって。相変わらずの真夏日だとよう。
天国と地獄や、と倅が言う。
最後の日。雨上がりの朝の清涼感を満喫しておきたくて、朝食まえに散策に出る。翠滴る山々のあいだから煙霧が立ち上り、流れる。水墨画の世界だ。
前夜の、あの大雨にもかかわらず、沢の濁りはない。透き通るようなエメラルド色の淵、瀬には岩魚であろうか、ときに魚影が見られる。
冷たい沢水に浸かって走りまわり、美味いのかしっかり沢水を飲んで、マリーンも満足げである。もう、この別天地ともお別れだよと、彼女とツーショット。
みんなで記念写真を撮ったあと、11時ごろ、コテージにおさらばし、喧噪と酷暑の娑婆に向かう。
明日からは、また、この俗世を離れた非日常の世界、別天地で得た癒やしと安らぎに感謝し、心して「自分の今」を生きよう、と自分に言い聞かせながら、林道を下る。
by kentians
| 2008-08-23 21:51
| 旅