2009年 02月 01日
七つの子・余話 |
HPトップに、童謡「七つの子」に因んで、二枚のカラスの絵をUPし、BGMをながした。
「七つの子」は、大正10年に作詞 野口雨情、作曲 本居長世によってデビューし、ヒットした名曲であることは知られている。
私も好きな童謡のひとつだ。この歌には、幼子を思う親の情愛が感じられるし、また、私たちの少年の頃の、のどかな里の風景が眼の前にひろがって見える。
だが、昨今は、自然破壊の所為か、街のゴミに好餌が溢れている所為か、里は言うにおよばず、都会でもカラスによる被害は眼に余る。カラスは恐怖すら覚える存在になり、厄介者になってしまった。いやでも、ヒッチコックの映画を想い出す。 下の画像はkimamaojiさんの「マルちゃん日記」にある「マルちゃん川柳(07.09.15)」からお借りしました。
ところで、「七つの子」の曲に多くのエピソードの存在を知った。アア、なるほどとか、そういえばそんな事もあったなあ、と言う話から、ヘえ~と思うものまであって面白い。
そんな、いくつかを紹介し、些か私見も述べたい。
まず、のどかな時代を思い描いた、拙い絵に添えて、雨情原作の歌詞を紹介する。
烏 なぜ啼くの 烏は山に
可愛七つの 子があるからよ
可愛 可愛と 烏は啼くの
可愛 可愛と 啼くんだよ
山の古巣に 行つて見て御覧
丸い眼をした いい子だよ
<七つの子のうたいかた>
私たちは、♪ カ~ラ~スなぜなくの、カラスはや~ま~に~ ♪ の出だしで始まるこの歌の次を ♪ かわいいな~なつの子があるか~らよ、と普通は歌っている、と思う。けれども、これは間違いで、♪ か~わい 七つの、と言うのが正しいのだという。たしかに、漢字の歌詞をみれば、そのとおりだ。なぜ、間違って歌うようになったかというと、大正末期に楽器を持つ家は少なく多くの人は、人の歌うのを真似て歌っていたから、間違ったまま普及したのと、戦後楽器が普及し楽譜が出るようになったときに、添えられた漢字の歌詞を誤って、「かーあい」とすべき所を「かあいい」と、かなに直したのが誤りの元だということである。
<七つの子>の替え歌
① ご承知、ドリフの志村けんがテレビの「八時だよ全員集合!」で 、「カラス なぜなくの カラスの勝手でしょう」と歌って、子供達にバカ受けしたのは、記憶に新しい。これに、PTAのお母さん達から抗議が殺到した事でも有名だ。
でも、私は、決してこの歌は、ただの、ふざけたギャグではなく、あの高度成長期の、国を挙げて豊かな暮らしを求め、何をしようが、勝手じゃないかと、なりふり構わず走っていた世相を、逆説的に、諷刺していたのではないか、とさえ思う。いま、思えば、こんにちの荒れた日本を予測していたのではないかと思うほどの替え歌ではないか。
② 森繁久弥が、ある盲学校を訪れたときに、「七つの子」を歌ったそうである。一番は順調に歌った、二番を歌っていて、ハッとし顔色がかわったという。盲目の生徒を前に「丸い眼をしたいい子だよ」と、歌うことに躊躇いが生じたからだそうである。そこはシゲさん、機転を利かして「丸い顔した~いい子だよ」と歌ってすませたそうである。流石である。
<七つの子のナゾ>
私は、そんなこと考えた事もなかったが、「七つの子」は、七羽の子か、七歳の子か、意見が対立して未だ論争が続いている。肝腎の作詞者の「雨情」が、いないのだから、結局はナゾにつつまれているというが。論争の中身を少し覗いてみると、「ななつ」という数え方の考察からはじまって、「子」とあって「子ら」とは作詞されてない、とか、以下延々科学的根拠に基づく解釈の相違を知る事ができる。
要するに、七羽説の根拠は、七歳のカラスはすでに子ではない、というもので、七歳説の根拠はカラスは七羽も雛を育てた例がない、というものだ。読んでいてバカらしくなって来た。
歌などというものは、情感を詠むもので、理屈じゃないでしょう。
野口雨情は、幼な子を思う親の心情をカラスに託して、作詞したのだろう。「七つの子」はそんな、幼な子のかわいさの例え、だと思えば好いことであって、ケンケンがくがく終わりのない論争をするほどの事でもあるまい、と思うけど、いかがだろう。
私は、絵描きの端くれだが、歌もおなじ、ただ歌詞をそらんじるのではなく、風景や、気持ちをイメージする事だと思うから、こんな論争ほどばかばかしいものはない。
<その他・雨情の作詞の真意への推測>
これも、今の話と一緒だが、他の歌も含めて彼の「詩」には別の意味がある、と言う考察がされ、思想的信条まで推測する論調もあるという。こうなると、何かこわ~い感じもする。
たとえば、「七つの子」もカラスは強制連行された幼い子を残して来た朝鮮人が、炭坑で重労働させられているのに同情や怒りを覚えた雨情が、カラスに託して詠んだ歌である、と言うのがある。(炭坑労働者は、炭塵で顔が真っ黒になる事からカラスと呼ばれていたところもあると言う)
雨情の身内が炭坑経営にかかわっていて、そういう光景を眼にしていた事は考えられるともいう。
雨情は、他にも「あの街この町」など多くの童謡を作っているが、この歌の、「いま来たこの道かえりゃんせ…」は、軍国主義暴走を食い止める為の思いを託した「反戦歌」だった、という説もある。
そんなことから、雨情は社会主義者か理解者ではなかったか、などという人もいる。まあ、こんな話は、勝手な情報だと言ってしまえば、済むが、意味深な話ではあるな。
いずれにしても、歌は素直に歌いたいものである。
「七つの子」は、大正10年に作詞 野口雨情、作曲 本居長世によってデビューし、ヒットした名曲であることは知られている。
私も好きな童謡のひとつだ。この歌には、幼子を思う親の情愛が感じられるし、また、私たちの少年の頃の、のどかな里の風景が眼の前にひろがって見える。
だが、昨今は、自然破壊の所為か、街のゴミに好餌が溢れている所為か、里は言うにおよばず、都会でもカラスによる被害は眼に余る。カラスは恐怖すら覚える存在になり、厄介者になってしまった。いやでも、ヒッチコックの映画を想い出す。 下の画像はkimamaojiさんの「マルちゃん日記」にある「マルちゃん川柳(07.09.15)」からお借りしました。
ところで、「七つの子」の曲に多くのエピソードの存在を知った。アア、なるほどとか、そういえばそんな事もあったなあ、と言う話から、ヘえ~と思うものまであって面白い。
そんな、いくつかを紹介し、些か私見も述べたい。
まず、のどかな時代を思い描いた、拙い絵に添えて、雨情原作の歌詞を紹介する。
烏 なぜ啼くの 烏は山に
可愛七つの 子があるからよ
可愛 可愛と 烏は啼くの
可愛 可愛と 啼くんだよ
山の古巣に 行つて見て御覧
丸い眼をした いい子だよ
<七つの子のうたいかた>
私たちは、♪ カ~ラ~スなぜなくの、カラスはや~ま~に~ ♪ の出だしで始まるこの歌の次を ♪ かわいいな~なつの子があるか~らよ、と普通は歌っている、と思う。けれども、これは間違いで、♪ か~わい 七つの、と言うのが正しいのだという。たしかに、漢字の歌詞をみれば、そのとおりだ。なぜ、間違って歌うようになったかというと、大正末期に楽器を持つ家は少なく多くの人は、人の歌うのを真似て歌っていたから、間違ったまま普及したのと、戦後楽器が普及し楽譜が出るようになったときに、添えられた漢字の歌詞を誤って、「かーあい」とすべき所を「かあいい」と、かなに直したのが誤りの元だということである。
<七つの子>の替え歌
① ご承知、ドリフの志村けんがテレビの「八時だよ全員集合!」で 、「カラス なぜなくの カラスの勝手でしょう」と歌って、子供達にバカ受けしたのは、記憶に新しい。これに、PTAのお母さん達から抗議が殺到した事でも有名だ。
でも、私は、決してこの歌は、ただの、ふざけたギャグではなく、あの高度成長期の、国を挙げて豊かな暮らしを求め、何をしようが、勝手じゃないかと、なりふり構わず走っていた世相を、逆説的に、諷刺していたのではないか、とさえ思う。いま、思えば、こんにちの荒れた日本を予測していたのではないかと思うほどの替え歌ではないか。
② 森繁久弥が、ある盲学校を訪れたときに、「七つの子」を歌ったそうである。一番は順調に歌った、二番を歌っていて、ハッとし顔色がかわったという。盲目の生徒を前に「丸い眼をしたいい子だよ」と、歌うことに躊躇いが生じたからだそうである。そこはシゲさん、機転を利かして「丸い顔した~いい子だよ」と歌ってすませたそうである。流石である。
<七つの子のナゾ>
私は、そんなこと考えた事もなかったが、「七つの子」は、七羽の子か、七歳の子か、意見が対立して未だ論争が続いている。肝腎の作詞者の「雨情」が、いないのだから、結局はナゾにつつまれているというが。論争の中身を少し覗いてみると、「ななつ」という数え方の考察からはじまって、「子」とあって「子ら」とは作詞されてない、とか、以下延々科学的根拠に基づく解釈の相違を知る事ができる。
要するに、七羽説の根拠は、七歳のカラスはすでに子ではない、というもので、七歳説の根拠はカラスは七羽も雛を育てた例がない、というものだ。読んでいてバカらしくなって来た。
歌などというものは、情感を詠むもので、理屈じゃないでしょう。
野口雨情は、幼な子を思う親の心情をカラスに託して、作詞したのだろう。「七つの子」はそんな、幼な子のかわいさの例え、だと思えば好いことであって、ケンケンがくがく終わりのない論争をするほどの事でもあるまい、と思うけど、いかがだろう。
私は、絵描きの端くれだが、歌もおなじ、ただ歌詞をそらんじるのではなく、風景や、気持ちをイメージする事だと思うから、こんな論争ほどばかばかしいものはない。
<その他・雨情の作詞の真意への推測>
これも、今の話と一緒だが、他の歌も含めて彼の「詩」には別の意味がある、と言う考察がされ、思想的信条まで推測する論調もあるという。こうなると、何かこわ~い感じもする。
たとえば、「七つの子」もカラスは強制連行された幼い子を残して来た朝鮮人が、炭坑で重労働させられているのに同情や怒りを覚えた雨情が、カラスに託して詠んだ歌である、と言うのがある。(炭坑労働者は、炭塵で顔が真っ黒になる事からカラスと呼ばれていたところもあると言う)
雨情の身内が炭坑経営にかかわっていて、そういう光景を眼にしていた事は考えられるともいう。
雨情は、他にも「あの街この町」など多くの童謡を作っているが、この歌の、「いま来たこの道かえりゃんせ…」は、軍国主義暴走を食い止める為の思いを託した「反戦歌」だった、という説もある。
そんなことから、雨情は社会主義者か理解者ではなかったか、などという人もいる。まあ、こんな話は、勝手な情報だと言ってしまえば、済むが、意味深な話ではあるな。
いずれにしても、歌は素直に歌いたいものである。
by kentians
| 2009-02-01 20:10
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