2009年 05月 27日
日本の原風景と画家原田泰治の生きざま |
実はこの度いろんな事情から、「老いぼれの一言」と「エエじゃないか」の二つのブログを暫く休む事にしたのだが、昨年末に「エエじゃないか」に書いたものに、若干拘りがあったものだから、些か小難しいタイトルではあるが、感動を伝えたくて、こちらへ転送して再掲するカタチとなった。若干補正はしてある。
この話は、昨年12月19日のNHK生活ほっとモーニング”このひとにときめき”で、画家の原田泰治さんを取り上げていたことについての感想を書いたものだ。
私は原田さんの絵が好きで、朝日新聞連載の絵や表紙絵を、切りとって、楽しんでいたものである。 表紙絵といえども、此処に画像をUPするからには著作権法上手続きが必要であるが、放送内容の感想の一環としての表紙の部分掲載と言う形で紹介させて頂いた。(ただ、著作権法上掲載画像の転載・再掲・リンクの類の行為は絶対にしないで頂きたい)
あの、叙情的な、しかも、日本の原風景が描かれ、ほのぼのとさせられた記憶が蘇って来て、懐かしく思うとともに、原田さんの生い立ちと生きざまに感動して放送を聞いた。
彼は一歳のとき小児麻痺に罹り、両足が不自由になり、5年と持つまいと言われたそうである。
子供の頃は、高台の家でゴロゴロしているか、両親の畑仕事の傍らで草原に転がされて育ったという。
そのときの、家から見る周りの山々や、田畑や、下の村々を眺めたことで「鳥の目が培われ、野原に転がされて眺めた草や、花が「虫の目」を養ってくれたのだと言う。
そう言えば、原田さんの絵には俯瞰的な絵が多いし、細かい観察の行き届いた絵である。
この絵は、17年も前の「すこやかファミリー」という冊子の表紙に掲載された、読者のふるさとシリーズのひとつ、「田植えの子供達」と題するものである。
山あいの新緑に囲まれた澄んだ空気や小鳥のさえずる声や、子供達のはしゃぐ声が聞こえて来そうな、素朴な微笑ましい絵である。昔は、こうしておとなも子供も一緒になって、田畑の仕事をした。暮らしは貧しくても、明るかった。
放送を聞いて、なによりも共感を得たのは、彼が貧しい暮らしや不幸な環境にあって、けっして僻んだり、恨むことなく、前向きに乗り越えてきたということである。
しかも、たれもが、自分の不幸な生い立ちや、環境は忘れたいと思い、語りたがらないのに、子供の頃の、貧しくて平凡な人々の暮らしが、彼の絵の原点になっているということであった。
だから、彼は全国を歩くが、観光地は描かない。市井の人々の動きや暮らしを描く。風景も、失われつつある日本の原風景である。そして、やさしく心温まる絵だ。
原田さんの父は、開拓農民で、農地を開拓する傍らで、誰もが不可能と言っていた小山の掘削を挑み、長年懸かって水源を掘り当てるtろいう難作業を独りでやり遂げ、村の水田を潤す事に成功したという。
そのお父さんから、原田さんは二つの事を学んだ、と紹介していた。
ひとつは、「夢を持って、それに邁進しろ!」必ず成せる、ということ、もう一つは「自分の道はこれだと決めたら、人がなんと言おうと、吾が道を進め!」と言った言葉だったという。
私は、自分の生い立ちと、生きざまに照らし、共感する事も多く感動して、この放送を聞いた。
同時に、子は親の背中、ことに父親の背中を見て育つと言う、味わい深い言葉は、今の日本では忘れられているのではないか?そんな不安な思いが頭をよぎったものである。
原田さんについてもっとお知りになりたい方は、下記の公式HPをお訪ね下さい。
http://www.torinome.net/index.html
(なお、当初掲載した表紙絵は「週刊新潮」と記してましたが、「すこやかファミリー」の表紙の思い違いでしたので、本文を訂正し、お詫びします)
この話は、昨年12月19日のNHK生活ほっとモーニング”このひとにときめき”で、画家の原田泰治さんを取り上げていたことについての感想を書いたものだ。
私は原田さんの絵が好きで、朝日新聞連載の絵や表紙絵を、切りとって、楽しんでいたものである。 表紙絵といえども、此処に画像をUPするからには著作権法上手続きが必要であるが、放送内容の感想の一環としての表紙の部分掲載と言う形で紹介させて頂いた。(ただ、著作権法上掲載画像の転載・再掲・リンクの類の行為は絶対にしないで頂きたい)
あの、叙情的な、しかも、日本の原風景が描かれ、ほのぼのとさせられた記憶が蘇って来て、懐かしく思うとともに、原田さんの生い立ちと生きざまに感動して放送を聞いた。
彼は一歳のとき小児麻痺に罹り、両足が不自由になり、5年と持つまいと言われたそうである。
子供の頃は、高台の家でゴロゴロしているか、両親の畑仕事の傍らで草原に転がされて育ったという。
そのときの、家から見る周りの山々や、田畑や、下の村々を眺めたことで「鳥の目が培われ、野原に転がされて眺めた草や、花が「虫の目」を養ってくれたのだと言う。
そう言えば、原田さんの絵には俯瞰的な絵が多いし、細かい観察の行き届いた絵である。
この絵は、17年も前の「すこやかファミリー」という冊子の表紙に掲載された、読者のふるさとシリーズのひとつ、「田植えの子供達」と題するものである。
山あいの新緑に囲まれた澄んだ空気や小鳥のさえずる声や、子供達のはしゃぐ声が聞こえて来そうな、素朴な微笑ましい絵である。昔は、こうしておとなも子供も一緒になって、田畑の仕事をした。暮らしは貧しくても、明るかった。
放送を聞いて、なによりも共感を得たのは、彼が貧しい暮らしや不幸な環境にあって、けっして僻んだり、恨むことなく、前向きに乗り越えてきたということである。
しかも、たれもが、自分の不幸な生い立ちや、環境は忘れたいと思い、語りたがらないのに、子供の頃の、貧しくて平凡な人々の暮らしが、彼の絵の原点になっているということであった。
だから、彼は全国を歩くが、観光地は描かない。市井の人々の動きや暮らしを描く。風景も、失われつつある日本の原風景である。そして、やさしく心温まる絵だ。
原田さんの父は、開拓農民で、農地を開拓する傍らで、誰もが不可能と言っていた小山の掘削を挑み、長年懸かって水源を掘り当てるtろいう難作業を独りでやり遂げ、村の水田を潤す事に成功したという。
そのお父さんから、原田さんは二つの事を学んだ、と紹介していた。
ひとつは、「夢を持って、それに邁進しろ!」必ず成せる、ということ、もう一つは「自分の道はこれだと決めたら、人がなんと言おうと、吾が道を進め!」と言った言葉だったという。
私は、自分の生い立ちと、生きざまに照らし、共感する事も多く感動して、この放送を聞いた。
同時に、子は親の背中、ことに父親の背中を見て育つと言う、味わい深い言葉は、今の日本では忘れられているのではないか?そんな不安な思いが頭をよぎったものである。
原田さんについてもっとお知りになりたい方は、下記の公式HPをお訪ね下さい。
http://www.torinome.net/index.html
(なお、当初掲載した表紙絵は「週刊新潮」と記してましたが、「すこやかファミリー」の表紙の思い違いでしたので、本文を訂正し、お詫びします)
by kentians
| 2009-05-27 20:48
| こころの詩