2009年 07月 10日
遠野の河童に遭ったと言う友人の話 |
今日は「河童」の話を書く。
河童は、信仰の対象として、全国各地の伝説に存在したり、妖怪或いは想像上の生物としておおよその人が抱いているイメージがある。目撃談もかなりあるそうだが、写真が残されてないから、信憑性はまずない、と言って好い、所謂未確認生物と言える。
背丈は、7、8歳の人の子くらいで、厳しい虎のような目つき、短くとがった大きな嘴など容貌は醜悪、手足には水かきがある。頭上にはくぼみがあり水を蓄えているが、長く陸に上がっていると干上がって命を落とすそうな。河川や湖沼に棲息し、好物はきゅうりや魚だと伝えられる。
ときに馬や人を襲い生き血を吸うなどの悪さをするし、酒好きで、好色だとも言い伝えられている。呼称も各地で違うが、およそ、よく似た話が伝わっていて、子供には、夕べ遅くまで水辺であそぶ事を戒めるために、「河童」が引き合いに出される例が多い。
そんな、河童ではあるが、不思議と愛されているし、私なども、ネッシー騒ぎや、つちのこ騒動のときには胸ときめかせたものだが、「河童」にはさらに、ユーモアもあって親しみを感じる。
愛好者も多く、500人以上の会員を擁する「河童連邦共和国」なる団体も存在し、サミットも開催されているという。憲法には、ロマンとユーモアでもって明るい社会環境を作り、遊び心を発揮し、河童文化の発展に努めると言うような事が、高々と掲げられている。特に、私の目にとまったのは、キャッチフレーズに「水は命、河童は心」とあったことだ。このことについては、また後で触れる。
私の知人にも、通称「河童のおじさん」といわれる「河童愛好家」がいる。彼は、50年も前に河童のやきものに魅せられて以来、蒐集をつづけ、退職後は陶芸を習い、河童が必ずいるやきもの作りに没頭している。なぜ、河童なのかという問いに「理由なく好きなのだが、敢えて言えば河童は「理想的な生き方の象徴」だからという。いろんな見方があるものだ。
このように、一般的には愛されている河童であるが、河童伝説は、そもそもが中国伝来だといわれ、全国に形は様々に変えて存在する。形態も、猿型、亀型に二分されると言うが、そんな専門的?な事は、この際省く。
前置きが随分長くなったが、今日は、こうした河童伝説の中から、岩手県は遠野の河童について触れたい。東北は民芸、伝説の宝庫であるが、ご多分に洩れず、最近は遠野も観光客誘致に懸命で「河童」も結構利用されているから、そんな片棒を担ぐつもりはないのだが、遠野の河童はやや、他の地域の河童とは趣を異にするように思われることが、友人の目撃談を期にあったので、こんなタイトルで書く気になった。
偶々ではあるが、先日K百貨店の画廊で「水木しげる版画展」を見る機会があった。水木しげるといえば、人も知るゲゲゲの鬼太郎に代表される、妖怪まんがの大御所である。 作品の中に珍しく河童が魚を食べている絵があった。
そこで、足をとめてたら、同行の女友達がいきなり大きな声で「私、遠野の河童淵で「河童」をみたのよ!」と、言ったのだ。店員も応対に窮したふうだし、私も、突然のことで当惑して、例によって面白い事を言うな、ぐらいでやり過ごそうしたら、さらに「ほんとなのよ、ホントに私見たんだから」というものだから、正直チョット戸惑いがちに「そうかい、で、どんなふうだった?」と聞いた。
すると、「あのね、突然、水面がざわざわとしたら、ぴょこんと顔を出して、私の方をみて、直ぐにまた水中に消えたの。ね、ウソだと思うでしょ、でも、本当に私見たのよ。ホントよ」と、私が、もう、ちゃかす言葉も出ないほどに確信に満ちた口調で、嬉しそうに言ったのだ。
こんな話をすると、大抵の人は、彼女をばかにするか、観光用の仕掛けでも見たのだろうとか、語り部達の話を聞いて幻想を見たのだろうと、思うに違いない。
事実河童に扮した役者の写真を撮って、新聞社に送りつけ、話題になってテレビでも報道されるという、視聴率UPを狙ったテレビ会社のやらせが話題をさらったことも有ったというくらいだ。
バカにしたり、幻想だと片づけるのは簡単である。
だが、彼女は、ユーモアもあり、夢見る少女そのままのような所はあるが、知的で、私同様、神懸かり的なことや、迷信や単純な神頼みなど、理性的に見て不合理な話には無縁の人で、無知文盲の田舎の明治のおばあさんとは違うという事は分かっている。だからこそ、私は彼女の話に興味を持った。
しかし、私は民芸・民俗研究の草分け的な柳田国男氏が地元で取材して書いたという、「遠野物語」に河童を初めとする遠野の伝承生物の事が書かれている、と言う以外、多くを知らない。
そこで、あの時は、私も当惑はしたが、彼女が「確かに河童を見た」というウラには、何かあると思い、「遠野の河童」について雑駁だがネットサーフなどで調べたり、さらにいきさつを彼女に尋ねたりした。きっと、ホントに見たに違いないと、私は思ったから…。
そうしたら、遠野の河童には、深い訳が有ることが分かったのである。
遠野は、古くアイヌがいた時代から大きな湖があり、そこから流れる河川の氾濫のたびに多くの犠牲者がでたという。そこで河童の先祖は零落した水神だという説も生まれるわけだ。だから、遠野には各地に河童伝説が残る。
更には近代になって、度重なる飢饉のときに子供を売ったり、それでも困り果てた末に、口減らしのため、堂堅寺裏手の河原に連れて行き殺したり、流したりした。此処が、「河童淵」である。ときには嫌がる子の顔を岩に叩きつけたりもした。やせ衰えた瀕死の子が顔を血だらけにして、苦しそうに立っている姿をみた人が「河童」をみたと、村人に触れ伝えたとしても、何の不思議もない。だから、遠野の河童の顔は赤いのだそうだ。このように、東北の貧しい農村ゆえに、このような悲惨な歴史の中から河童伝説は生まれたのではないかと思う。
こうしたことから、先に書いた「水は命、河童は心」という河童連邦共和国のキャッチフレーズの意味も分かるような気がしたのだ。
いまは、遠野で語り部たちの語る伝説も単なる観光材料となり、市の委嘱を受けて「河童淵」の守りっ人(まぶりっと)をしているひとも伝説を語りながらも、訪れる観光客には、ときに「あっ、あそこに河童が出た!と叫んで、注意を引き「あ~河童じゃなかった、葉っぱだった、といって笑わせるというサービスぶりだそうである。
その河童淵の守りっ人は、河童釣りの名人とも、河童獲り名人とも言われているらしいが、いまだ捕まえた事がないという話も、また面白い。
だが、地元のこどもたちが「河童さんが胡瓜が食べたい、と言ってたよ」とか、○○が欲しいと言ってたからと言って持ってくると、このおじさん、「そこへおいときな、河童がよろこぶぞ」と言い、「河童はお前達、俺たちの分も元気でいてくれよ」と言ってるぞ、と声を掛けるそうである。そんなことから、子供達は、河童と心を通わせる事ができるのだ。
こうした事を知ると、夜のしじまに河童たちの嗚咽をきく思いで、話を噛みしめて見たくなる。
河童を見たと言う友人も、このひとから色々話を聞かされ、その素直な姿勢が認められたのか、彼女に言わせると、テストに合格して、「間もなく河童が出そうだ、あんたきっと遭えるよ」と言われたら、間もなくホントに「見た」のだという。
私は、これはある種のレクイエムではないか?と思うのだ。
その、守りっ人さんは、こうも言っていると言う。「河童は見るものじゃない、心のなかで遭うものだ」と。
私は、彼女が「たしかに河童を見たのよ」と、言ったことも、それで得心した。
そして、そのことを伝えると、彼女は「私も河童が実在するなんて少しも信じてはいないのよ。でも、確かに見たんだから」と言った。狐に騙されたわけでも、ウソをついてる訳でもない。
私が「ボクもいちど遠野へ行って、河童淵に立ってみたいな」と言うと、彼女はしんみりと、「行けるといいわね」と言った。そして、笑って言った「あなたのように心優しいひとなら、きっと遭えてよ」とも。
私の心は、はるか遠野の河童淵へ飛んでいる。
河童は、信仰の対象として、全国各地の伝説に存在したり、妖怪或いは想像上の生物としておおよその人が抱いているイメージがある。目撃談もかなりあるそうだが、写真が残されてないから、信憑性はまずない、と言って好い、所謂未確認生物と言える。
背丈は、7、8歳の人の子くらいで、厳しい虎のような目つき、短くとがった大きな嘴など容貌は醜悪、手足には水かきがある。頭上にはくぼみがあり水を蓄えているが、長く陸に上がっていると干上がって命を落とすそうな。河川や湖沼に棲息し、好物はきゅうりや魚だと伝えられる。
ときに馬や人を襲い生き血を吸うなどの悪さをするし、酒好きで、好色だとも言い伝えられている。呼称も各地で違うが、およそ、よく似た話が伝わっていて、子供には、夕べ遅くまで水辺であそぶ事を戒めるために、「河童」が引き合いに出される例が多い。
そんな、河童ではあるが、不思議と愛されているし、私なども、ネッシー騒ぎや、つちのこ騒動のときには胸ときめかせたものだが、「河童」にはさらに、ユーモアもあって親しみを感じる。
愛好者も多く、500人以上の会員を擁する「河童連邦共和国」なる団体も存在し、サミットも開催されているという。憲法には、ロマンとユーモアでもって明るい社会環境を作り、遊び心を発揮し、河童文化の発展に努めると言うような事が、高々と掲げられている。特に、私の目にとまったのは、キャッチフレーズに「水は命、河童は心」とあったことだ。このことについては、また後で触れる。
私の知人にも、通称「河童のおじさん」といわれる「河童愛好家」がいる。彼は、50年も前に河童のやきものに魅せられて以来、蒐集をつづけ、退職後は陶芸を習い、河童が必ずいるやきもの作りに没頭している。なぜ、河童なのかという問いに「理由なく好きなのだが、敢えて言えば河童は「理想的な生き方の象徴」だからという。いろんな見方があるものだ。
このように、一般的には愛されている河童であるが、河童伝説は、そもそもが中国伝来だといわれ、全国に形は様々に変えて存在する。形態も、猿型、亀型に二分されると言うが、そんな専門的?な事は、この際省く。
前置きが随分長くなったが、今日は、こうした河童伝説の中から、岩手県は遠野の河童について触れたい。東北は民芸、伝説の宝庫であるが、ご多分に洩れず、最近は遠野も観光客誘致に懸命で「河童」も結構利用されているから、そんな片棒を担ぐつもりはないのだが、遠野の河童はやや、他の地域の河童とは趣を異にするように思われることが、友人の目撃談を期にあったので、こんなタイトルで書く気になった。
偶々ではあるが、先日K百貨店の画廊で「水木しげる版画展」を見る機会があった。水木しげるといえば、人も知るゲゲゲの鬼太郎に代表される、妖怪まんがの大御所である。
そこで、足をとめてたら、同行の女友達がいきなり大きな声で「私、遠野の河童淵で「河童」をみたのよ!」と、言ったのだ。店員も応対に窮したふうだし、私も、突然のことで当惑して、例によって面白い事を言うな、ぐらいでやり過ごそうしたら、さらに「ほんとなのよ、ホントに私見たんだから」というものだから、正直チョット戸惑いがちに「そうかい、で、どんなふうだった?」と聞いた。
すると、「あのね、突然、水面がざわざわとしたら、ぴょこんと顔を出して、私の方をみて、直ぐにまた水中に消えたの。ね、ウソだと思うでしょ、でも、本当に私見たのよ。ホントよ」と、私が、もう、ちゃかす言葉も出ないほどに確信に満ちた口調で、嬉しそうに言ったのだ。
こんな話をすると、大抵の人は、彼女をばかにするか、観光用の仕掛けでも見たのだろうとか、語り部達の話を聞いて幻想を見たのだろうと、思うに違いない。
事実河童に扮した役者の写真を撮って、新聞社に送りつけ、話題になってテレビでも報道されるという、視聴率UPを狙ったテレビ会社のやらせが話題をさらったことも有ったというくらいだ。
バカにしたり、幻想だと片づけるのは簡単である。
だが、彼女は、ユーモアもあり、夢見る少女そのままのような所はあるが、知的で、私同様、神懸かり的なことや、迷信や単純な神頼みなど、理性的に見て不合理な話には無縁の人で、無知文盲の田舎の明治のおばあさんとは違うという事は分かっている。だからこそ、私は彼女の話に興味を持った。
しかし、私は民芸・民俗研究の草分け的な柳田国男氏が地元で取材して書いたという、「遠野物語」に河童を初めとする遠野の伝承生物の事が書かれている、と言う以外、多くを知らない。
そこで、あの時は、私も当惑はしたが、彼女が「確かに河童を見た」というウラには、何かあると思い、「遠野の河童」について雑駁だがネットサーフなどで調べたり、さらにいきさつを彼女に尋ねたりした。きっと、ホントに見たに違いないと、私は思ったから…。
そうしたら、遠野の河童には、深い訳が有ることが分かったのである。
遠野は、古くアイヌがいた時代から大きな湖があり、そこから流れる河川の氾濫のたびに多くの犠牲者がでたという。そこで河童の先祖は零落した水神だという説も生まれるわけだ。だから、遠野には各地に河童伝説が残る。
更には近代になって、度重なる飢饉のときに子供を売ったり、それでも困り果てた末に、口減らしのため、堂堅寺裏手の河原に連れて行き殺したり、流したりした。此処が、「河童淵」である。ときには嫌がる子の顔を岩に叩きつけたりもした。やせ衰えた瀕死の子が顔を血だらけにして、苦しそうに立っている姿をみた人が「河童」をみたと、村人に触れ伝えたとしても、何の不思議もない。だから、遠野の河童の顔は赤いのだそうだ。このように、東北の貧しい農村ゆえに、このような悲惨な歴史の中から河童伝説は生まれたのではないかと思う。
こうしたことから、先に書いた「水は命、河童は心」という河童連邦共和国のキャッチフレーズの意味も分かるような気がしたのだ。
いまは、遠野で語り部たちの語る伝説も単なる観光材料となり、市の委嘱を受けて「河童淵」の守りっ人(まぶりっと)をしているひとも伝説を語りながらも、訪れる観光客には、ときに「あっ、あそこに河童が出た!と叫んで、注意を引き「あ~河童じゃなかった、葉っぱだった、といって笑わせるというサービスぶりだそうである。
その河童淵の守りっ人は、河童釣りの名人とも、河童獲り名人とも言われているらしいが、いまだ捕まえた事がないという話も、また面白い。
だが、地元のこどもたちが「河童さんが胡瓜が食べたい、と言ってたよ」とか、○○が欲しいと言ってたからと言って持ってくると、このおじさん、「そこへおいときな、河童がよろこぶぞ」と言い、「河童はお前達、俺たちの分も元気でいてくれよ」と言ってるぞ、と声を掛けるそうである。そんなことから、子供達は、河童と心を通わせる事ができるのだ。
こうした事を知ると、夜のしじまに河童たちの嗚咽をきく思いで、話を噛みしめて見たくなる。
河童を見たと言う友人も、このひとから色々話を聞かされ、その素直な姿勢が認められたのか、彼女に言わせると、テストに合格して、「間もなく河童が出そうだ、あんたきっと遭えるよ」と言われたら、間もなくホントに「見た」のだという。
私は、これはある種のレクイエムではないか?と思うのだ。
その、守りっ人さんは、こうも言っていると言う。「河童は見るものじゃない、心のなかで遭うものだ」と。
私は、彼女が「たしかに河童を見たのよ」と、言ったことも、それで得心した。
そして、そのことを伝えると、彼女は「私も河童が実在するなんて少しも信じてはいないのよ。でも、確かに見たんだから」と言った。狐に騙されたわけでも、ウソをついてる訳でもない。
私が「ボクもいちど遠野へ行って、河童淵に立ってみたいな」と言うと、彼女はしんみりと、「行けるといいわね」と言った。そして、笑って言った「あなたのように心優しいひとなら、きっと遭えてよ」とも。
私の心は、はるか遠野の河童淵へ飛んでいる。
by kentians
| 2009-07-10 22:40
| こころの詩